ボーダーラインが生死に影響?
2013/12/24
一秒の差で大きな損得
2013年が過ぎ去ろうとしている。私たちは、12月になると一年を振り返る。一年間に起こった社会の出来事や自分の生活を改めて見直す。来年はもっとよい年になるようにと願う。自分自身については、今年の失敗を繰り返さないように戒める機会にする。私たち日本人の多くは大晦日から元旦に日付が変わることを特別な思いで受け止める。時間の移り変わりには特別の変化がなく、12月31日の夜11時59分59秒から1月1日の零時零分ゼロ秒への変化は、単なる1秒の変化にすぎない。しかし、私たちの感覚では、年が変わる一瞬として大きな変化として受け止める。
たった1秒の変化であっても12月31日の最後の一瞬が、他の日と大きく違うのは、私たちの暮らしが年単位で行われていることが多いからだ。2013年から2014年へのボーダーというのは特別の意味があるのだ。実際、年をまたいで日付が変わることで死亡率も変わることがあるという。2001年のイグノーベル賞を授賞したコプチュク教授とスレムレッド教授のアメリカのデータをもとにした研究によれば、相続税が次の年から減税される場合には、減税される直前の死亡率が減少して寿命がのびるということだ。もっとも、本当に寿命がのびたのか、医者が死亡時期をずらして報告していた可能性は排除できないそうだ。
逆に、生まれるタイミングも影響を受ける。日本の所得税制では、12月31日時点で控除対象の扶養親族がいる場合、所得から扶養控除38万円(2013年)を所得から差し引くことができる。限界所得税率が10%の人なら、扶養者が一人増えると税金額が3万8千円安くなるということだ。もし、子供が12月31日に生まれれば、その年の税金が3万8千円安くなるのに、一日遅れれば、所得控除は翌年になってしまう。そうすると、12月31日の11時59分59秒に生まれるか、1月1日ゼロ時ゼロ秒に生まれるかという1秒の差が、4万円近くの差をもたらすのだ。住民税の扶養控除は33万円だから、所得税と住民税を合わせると約8万円だ。一秒の違いで8万円も税金が変わるのだ。こういうことを気にする人は、よっぽど細かい人だけだろうか。社会保障人口問題研究所の暮石渉氏と東北大学の若林緑氏が、日本のデータでそれを確認している。彼らは、できちゃった結婚したカップル(でき婚)とそうでないカップル(非でき婚)の出産月を比較した。計画的に出産時期を考えていると思われる「非でき婚」夫婦の方が「でき婚」の夫婦よりも12月の出産率が高いことが統計的に示されている。相続税にしても扶養控除にしても、たった一秒の差が大きな経済的な差をもたらすので、死亡率や出生率に非連続的な変化を与えているのだ。
非連続的な政策介入が影響
暦年の変化にともなう制度的な経済的便益がはっきり異なる場合に、私たちの行動が影響を与えるというのは、理解できるかもしれない。実際にはほとんど同じなのに、ボーダーラインのどちらにあったかという偶然によって、私たちの人生が大きく異なることは多い。大学の入学試験でも、ボーダーラインの前後には多くの受験生が並んでいる。おそらく、大学入試において合否を決めるボーダーラインの前後数点の差というのは、受験生の実力には事実上差がないはずだ。それにも関わらず、たまたま合格した学生と不合格になった学生の間には、大きな差が生まれる。
病気に対する治療にも当てはまるかもしれない。健康診断を受けたり、病気で検査を受けたりすると、検査結果の数値には病気かどうかのボーダーラインがあって、それより数値が悪いと治療を受けることを勧められることがある。ボーダーラインの前後なら、健康度合いが悪いことには事実上差がないのに、少しでもボーダーラインを超えると、治療が始まることになる。もし、検査結果がボーダーラインの近くにある人を比べると、ボーダーラインを悪い方に少し超えた人の方が、早く治療を始めることができるかもしれない。そうすると、検査結果がほぼ同じだったのに、ボーダーライン以下だった人よりもボーダーラインを悪い方に超えていた人の方が、結果的に寿命が長くなるということもあるかもしれない。
経済学では、年齢と健康、検査数値と健康状態といった本来連続的な関係があるはずのものに、非連続的な政策介入があるときに、政策効果の影響を分析するという手法が、回帰不連続デザインと呼ばれている。
「1,500グラム」の分かれ道
はっきりした生物学的な根拠がなくても、医学の治療方針で、慣習的に決められているものもある。その一つが、低出生体重児のケアのあり方である。2,500グラム未満の出生児を低出生体重児と呼ぶが、1,500グラム未満を極低出生体重児として、手厚いケアをするように決められている。もちろん、出生体重は、ケアの必要性の一要件にすぎないが、危険度の高い出生児であるかどうかの重要な判断基準になっている。
乳児死亡率は、出生体重が大きくなるにしたがって低下していくことが一般に知られている。しかし、もし1,500グラム前後で生まれた赤ちゃんについて、1,500グラム未満であれば、より手厚いケアを受ける可能性があるなら、その後の健康水準が、極低出生体重児と判断された子供の方が高くなるという逆転現象が観察される可能性がある。コロンビア大学のアーモンド教授らは、このことをアメリカのデータを用いて検証した(Almond他(2010))。彼らの研究結果によれば、1,500グラムを超えると1年内の乳児死亡率が、5.5%も「高まる」というのだ。この理由は、1,500グラム未満だと、そうでない場合よりも、より手厚い医療ケアを受けていることにある。医療ケアが手薄になることで、1,500グラムよりわずかだけ大きな赤ちゃんの医療費は、結果的に1人当たり4,000ドルも高くついているという。平均的な病院だとこの金額は4万ドルになるそうだ。もし1,500グラム前後の子供たちをきちんとケアできれば、その分死亡率を下げることができて、医療費を年間約55万ドル節約できることになるという。
似たような結果は、カリフォルニア大学サンディエゴ校のバラダワジ教授らの研究でも得られている(Bharadwaj他(2013))。彼らは、チリとノルウェイのデータを使って、1,500グラム前後の出生体重児の死亡率と学校の成績に与える影響を分析した。1,500グラム前後の出生体重児では、1,500グラム未満の出生体重児の方が、1,500グラム以上の出生体重児よりも、死亡率が低く、学業成績がよくなっているのだ。
日本ではどうだろうか。私がインターネットで検索したところ、100グラム単位で死亡率を計測した研究として、多田他(1997)が見つかった。やはり、1,500グラム台よりも1,600グラム台の出生体重の子供の方が、死亡率は高い(グラフ)。日本では、丁寧なケアを必要とするか否かの医者の大まかな判断基準が、1,500グラム台かどうかにあることを反映している可能性がある。
ボーダーラインの前後で、人生に差が生まれるのは避けられないだろう。しかし、そのボーダーラインに正当な根拠があるかどうかは、再確認したいものだ。
参考文献
Almond, Douglas, Joseph J. Doyle, Jr., Amanda E. Kowalski and Heidi Williams(2010) “Estimating Marginal Returns to Medical Care: Evidence from At-Risk Newborns,” The Quarterly Journal of Economics, MIT Press, vol. 125(2), pages 591-634, May.
Bharadwaj, Prashant, Katrine Vellesen Løken, and Christopher Neilson. (2013) “Early Life Health Interventions and Academic Achievement.” American Economic Review, 103(5): 1862-91.
Kopczuk, Wojciech and Joel Slemrod, (2003) “Dying to Save Taxes: Evidence from Estate-Tax Returns on the Death Elasticity,” The Review of Economics and Statistics, MIT Press, vol. 85(2), pages 256-265, May.
Kureishi, W. and Wakabayashi, M. (2008). Taxing the Stork, National Tax Journal, 61, 167-87.
多田裕, 日暮眞, 中村敬, 長坂典子(1997) 「死亡診断書による乳児死亡原因の解析」厚生労働科研1997年度報告書。
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